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慰霊の日に際し、子ども達の御霊に捧ぐ

2018/06/24
 
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何故、死ななければならなかったのか。

その原因はいったいどこにあるのか。

 

こんばんは。

 

今日6月23日は慰霊の日です。

73年前の今日、第二次世界大戦末期、1945年6月23日午前4時頃、日本軍の沖縄守備軍最高司令官と参謀長が軍司令部で自決し、日本軍の指揮系統が完全に消滅。

沖縄の戦闘はアメリカとイギリスの連合軍の勝利により、終了しました。

沖縄戦と呼ばれる約3ヶ月弱の戦闘による戦没者は両軍及び日本の民間人を合わせ、20万人とされています。

そのうち、約9万4000人が民間人でした。

ただ、その他に沖縄現地で動員された戦闘員を含む軍人、及び軍属の犠牲者が約2万8000人に登ることから、全犠牲者の半分が沖縄の人たちだったということになります。

その中には現地の男性で構成された「防衛隊」、14歳から17歳の男子学生により構成された「鉄血勤皇隊」、女子学生により構成された看護部隊「ひめゆり学徒隊」「白梅学徒隊」などが含まれます。

そしてその多くの命が失われました。

少年兵として召集された「鉄血勤皇隊」は1780人の男子生徒で構成され、戦車に対する近接戦闘などにも参加し、その半数が亡くなっています。

 

戦車に対する近接戦闘とは、刺突爆雷と呼ばれる攻撃。

木箱に火薬を詰め込んだ「急造爆雷」を背負い、戦車に体当たりをして爆破する。

装甲の厚い戦車に対しては車体ではなく、キャタピラの切断を狙って、轢かれるようにして爆死する。

そういったことが実際に行われたと、記録が残っています。

 

国も、人も、全てが狂っていたんだと思います。

捕虜になると何をされるか分かったものではないと、降伏を受け入れず、集団自決した民間人は1000人を超えるという見方をする研究者もいます。

実際に戦闘終了後の難民収容所ではアメリカ兵による強姦被害も多発していた背景もあり、その恐怖ゆえに死を選んだという方も少なくなったように思います。

 

第二次世界大戦に参加するからこんな悲劇が生まれたんだ!

今、第9条を改憲して再び戦争をしようとしている現政権はおかしい!

 

なんだか、どこからかそんな声が聞こえてきそうですが、改憲しようとしなかろうと戦争に巻き込まれる時は巻き込まれます。

事態はそんなに簡単なことではありません。

 

だいたい、なぜ日本が第二次世界大戦に参加することになったのか。

声高に批判する人の中で、それに興味を持って調べた人がどれほどいることでしょう。

 

個人的な見解では、事態は江戸時代末期の開国騒動まで遡ります。

 

それまで、日本は鎖国という環境の中、自国のみで完結する国を築いてきました。

しかし、1853年のペリー来航により、事態は変わります。

アメリカやヨーロッパ諸国によるアジア進出、植民地化の動きです。

その頃、すでに中国はイギリスによる半植民地化が進んでいました。

その中で、日本は勤王派と佐幕派に別れ内乱ともいえる状態を経て、明治維新を迎え、開国します。

そこに迫るロシアやイギリスの巨大な軍事力。

特にロシアは南下政策を進めており、その力は大変脅威でした。

過去の記録や事例を見るに、確実にロシアは日本を支配下に入れようと動いていました。

 

それを何とかするために、朝鮮半島を国として独立させ、中国(当時の清)の勢力から切り離し、親日化させたい。可能であれば、事実上の日本の保護国として置き、ロシアの動きを牽制したい。

当時そのような思惑があり、勃発したのが日清戦争です。

これが1894年です。

 

日清戦争に勝利した日本は朝鮮を大韓帝国として独立させることに成功します。

しかしその裏で、ロシアと中国(当時の清)は清露密約を交わしています。

その内容は「日本がロシア極東・朝鮮・清に侵攻した場合、露清両国は陸海軍で相互に援助する」というものでした。

そして、ロシアはその後、中国(当時の清)の東北地方や朝鮮半島に軍を送り、占領を始めます。

ロシアは南下政策を諦めていない。

当時、北海道のすぐ上の樺太(サハリン)はロシア領でした。

このままではいずれ攻めてこられる。

そう判断した日本は、朝鮮の大韓帝国がロシアの手に落ちる前にと、ロシアに宣戦布告をします。

これが日露戦争です。

1904年の出来事でした。

 

この日露戦争にも勝利することが出来た日本は、事実上、大韓帝国の保護国となります。

大韓帝国が独力でロシアを侵略を退けられるよう、政治、経済、軍事等を指導する為、韓国総監府を置きました。

その初代韓国総監が幕末でも活躍した伊藤博文です。

伊藤博文としては大韓帝国を保護するのは大韓帝国が自国として独力で歩み始めるまでと、あくまでも大韓帝国の自治を主張していましたが、あろうことか韓国人の安重根に暗殺され、日本国内での韓国併合推進派に力を与えることになり、1910年に日韓併合が行われます。

これは日本の一方的な占領ではなく、むしろ、韓国側からの提案であると言われています。

中国及びロシアの脅威を退けるために、韓国側が日本と共に歩むことを望んだ。

それは1909年12月4日の大韓帝国の一進会の「韓日合邦を要求する声明書」にも見て取れます。

まぁ、それが全ての大韓帝国民の意思とは言いませんが、、、

 

そして日本は、世界で八大強国と言われる地位を確立していきます。

1914年に勃発した第一次世界大戦では、イギリスと共にドイツ東洋艦隊の根拠地である中国の青島チンタオを攻め、占領しました。

日本は第一次世界大戦の戦勝国として、ドイツが有していたの青島チンタオを中国に返還させ、中国に対しては「対支21ヶ条要求」を行い、最終的に満州のあらゆる権利を獲得します。

しかし、その一方で、アメリカ主導によるワシントン体制が成立します。

これは第一次世界大戦にて大陸進出をしてしまった日本に対する西洋諸国のけん制とも言える軍縮方針です。

アメリカは中国政策に対する障害として、日本をなんとか抑えたい。

その為には、日英同盟を解消させ、日本の発言力を落とす必要がある。

下っ端だったはずの日本の急激な台頭を許さぬよう、このワシントン体制により、日本の孤立化を画策していました。

そして、それは叶い、この会議により、日英同盟は解消されます。

そして、日本はどこの国とも同盟を結んでいない国となりました。

 

この頃から、日本は少しおかしくなっていったと思われます。

守る為の戦いから、攻めなければ生き残れないという戦いに変わっていったのではないかと。

少なくとも、軍部では自国を巨大な国の侵略から防衛する為ではなく、自らの力だけで自国をさらに豊かにするためには他国を攻めるいう考えに変わっていった。

第一次世界大戦後の中国に対する要求は過剰であったかもしれませんが、それはそれが日本が強国として生き残る術だったのではないかと感じます。

 

そして、1931年。

満州事変が起こります。

事の発端は日本軍による南満州鉄道の爆破。

この頃、満州にいた日本の関東軍はこの爆破を中国軍の仕業とでっち上げ、それを口実に満州各地の中国軍拠点に攻め入り、占領。

そして満州全土を占領して満州国という、日本の傀儡国家を作り上げます。

おそらく、これが第二次世界大戦で敗北する事の発端です。

 

満州事変が日本軍による陰謀であったことが国際連盟の調査で明るみ出ると、日本は各国から痛烈な批判を受け、最終的には国際連盟から脱退します。

この時、日本にはワシントン会議のせいで同盟国はおらず、完全に世界から孤立したと言って良いでしょう。

 

何故、満州事変が起きたのか。

起こってしまったのか。

満州の占領と満州国の建国は、軍部の独断と言われています。

当時の日本政府はワシントン体制の中でも、あくまでも外交努力による国際協調を進めていました。

しかし、世界はアジアを中国を中心として動かそうとしていました。

このままではいずれ満州の利権も奪われる可能性がある。

現に、中国内でその兆候があったと言われています。

それを恐れた軍部が独断で満州事変を引き起こしました。

しかし、日本政府は最終的にその軍部の行動を国の行動として承認します。

それを機に、日本国内では政治家ではなく、軍人が権力を持ち始めます。

 

世界から孤立し、国内では軍部が力を持つ。

 

なんだかどこかで聞いたことがあるような状態になっていました。

そして、中国との関係もこじれにこじれた結果、1937年、日中戦争が始まります。

 

当初、戦闘は日本が優勢で、当時の中国の首都である南京も占領しました。

しかし、中国はアメリカの支援を得て、抵抗を続けます。

1941年までの約4年間、日本は中国に兵員を送り込み続け、その結果、日本経済は疲弊していきます。

すぐにでも戦争をやめたい。

中国に敗北を認めさせ、終戦としたい。

でも、そうなりません。

なんとか、アメリカの支援を断ち切りたい。

でも、そうなりません。

 

世界から孤立していた日本はこのままではまずいと、日本は同様に国際連盟から脱退したドイツとイタリアと接触を図ります。

ドイツは1933年にヒトラーが政権を取った際に再軍備を図る為に脱退し、イタリアは1937年にエチオピア侵攻に対する各国の経済制裁に反発し、脱退していました。

 

1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、それを機にイギリスやフランスがドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が勃発します。

1940年にはドイツ、イタリア、日本による日独伊三国同盟が成立し、第二次世界大戦の構図が出来上がります。

日本はドイツがフランスを降伏させると、その機にフランス領土であったインドシナ半島北部を占領し、日中戦争継続に必要な物資を東南アジアを占領により調達しようとします。

しかし、これが逆にフィリピン諸島に領土を持つアメリカを直接的に刺激する羽目になり、アメリカから強烈な経済制裁を受け、石油などの輸入が出来なくなります。

石油がないということは、燃料がないということ。

飛行機も飛ばなければ、船も動かなくなるということ。

 

ここで、日本は決断を迫られます。

 

優勢で勝てるはずであろう日中戦争の戦果を捨て、撤退するか。

アメリカと表立って事を構えるか。

 

撤退すれば、おそらく満州の利権は失うことになったでしょう。

下手すると中国やロシア(当時はソ連)からの侵攻を許すかもしれません。

 

アメリカと事を構えたらどうなるか。

というか、そもそも、これはアメリカ主導によるワシントン体制と中国支援のせいでこうなってるのではないか。

ヨーロッパでドイツは連戦連勝だし、もしかしてこれはいけるんではないか。

さらには、軍部は日中戦争を今更やめられないと圧力を掛けてきます。

 

そして、日本は判断し、1941年12月7日、真珠湾攻撃を実施しました。

 

個人的な見解ではありますが、これが日本が第二次世界大戦に参加し、疲弊し、子供までもが戦い、最後には2発も原爆を落とされ、敗北する結果となったきっかけです。

 

日本はどこで間違えたのでしょうか。

僕は歴史家でも、思想家でもないので、明確な答えを持ち合わせてはいません。

というか、僕には考えても分かりません。。。

 

歴史にifはない。

でも、もし、

 

もし、ペリーが来なかったら?

もし、明治維新が起こらなかったら?

もし、日清戦争で負けてたら?

もし、ロシアが南下政策をしてこなかったら?

もし、アメリカがワシントン会議を開かなかったら?

もし、満州事変が起こらなかったら?

もし、ヒトラーが生まれなかったら?

もし、日本に油田見つかってたら?

 

リセットボタンを押して、予備知識なしで江戸末期からもう一度始めたら、違う道に進むこともあるんでしょうか。

 

世界で起こることは、全て繋がっている。

何処かで何かが起きているから、こちらで何かが起こる。

 

戦争反対!

 

声高く叫ぶのは大いに結構です。

誰だって戦争は嫌でしょう。

戦争がしたければ、ゲームの中でやればいい。

僕も死にたくないし、誰かを死に追いやりたくもありません。

では、何故その戦争は起きているのか。

何故、そんな事をしなければならないのか。

それを考えなければ、いくら戦争反対と叫んでも空虚なだけです。

 

窮鼠猫を噛むという諺があります。

他人を尊重せず、上から見下ろして従わせようとしていては、突然抵抗され思わぬ痛手をこうむります。

生物として、人は争わずには生きていけないのか。

まぁ、そうなのでしょう。

利益は自分と家族の為に使う。

いくら儲かったからといって、自分の給料を均等に分配してみんな一緒にしていいという人はいないでしょう。

国と国もきっとそう。

ある程度は支援もするし、協力もするが、そこには確実に線引きがある。

 

それがうまくいかない時に、戦争は起きるのかもしれませんね。

でも、こういうことをちゃんと考えて、歴史を学んで、過去を教訓と出来る人がどんどん増えていけば、戦争の起こらない世界になったり、しないかなぁと思うのです。

 

まぁ、理想論だとは思いますが、、、

 

それではまた明日。

 

 

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今日の脳トレはこちら。

 

全ての日本人に、73年前に亡くなった子ども達に対してこれからの平和を誓って欲しい。

 

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